久保講堂での初コンサートを終え、その後何週間か休暇をとっていた各メンバー。

うじき+はっちの2人は、ロッキンfなどの取材も兼ね、ロンドンへ。トーベンは台湾。

こうちゃんは蓼科。やまとさんだけは地元で、

それぞれの休暇を過ごしていた、と記憶しています。

その後ロードに戻ってから初の関西ツアーに出かける時、

こうちゃんが風疹にかかったのです。

本人は「ツアーには行く」と言い張ってたらしいですが、

説得して置いてきた、って聞きました。

顔がゆでだこのようだったらしいです(笑)。

その時のツアーで、どのくらいのライブハウスを

回ったかは記憶にないのですが、

私は京都サーカス&サーカスと、心斎橋ルイの二ヵ所に行きました。

チキンはやったかなあ、私、チキンでのライブ、逃した事一回もない筈なんで

(初ライブより通っておりました)、やったら行ってると思うんですが・・・。

ちなみにチキンへの出演は、81年からですね。

さて、3人になってしまった子供ばんどは、さすがに

音が「スカスカ」しておりました(失礼)。

うじきさんは「今日はポリスみたいな3人編成だぜ!」

なんて気を取り直していましたが、

ツインギターをひとりで弾ききるのは

難しい場面も多々あったと思います。

そのせいか、いつもに増してMCが長かったような。

そして、トーベンがライブ中、自分のコーナーを持って、

即興で歌を創作したりして、乗り切っていましたね。

覚えているのは、「トーベンのピチピチギャルの歌」

(トーベンはよく、胸のデカい女の子がいい、とおっしゃってましたねえ・・・)と、

いきなり演歌になっていた「台湾餃子の歌」。

これは何故、演歌なのかと言うと、トーベンが

休暇で行った台湾で餃子を食べ、

それにアタッて下痢をしてしまった、

というストーリーの、悲しい歌詞だから(笑)。

ちなみにそれは、実話だそうです。

すすり泣くように歌ってました(笑)。

子供ばんどは、この手の即興の歌や、

即興劇みたいな事を、よくやってましたね。

とにかく、そういう事でも、お客さんを

ノセるのが非常にウマかったです。                 

この時はそうやっていろんな要素を増やして、

3人でとても頑張ってツアーをこなしていました。

こうちゃんが欠けたのはこの関西ツアーだけだったので、

非常に珍しい事だったし、いつもと違ったライブで

私は結構、楽しめました。この時の事は、子供会の会報にも

「想い出のツアー日記」として私が面白おかしく

書いてるので(84年の最初の号???)

持ってる方は読んでやって下さいまし。

 

 

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