TOBEN MYSTERY by maruko

ゆてんじ ようちえん は きんのたまご が 2つ いた

昭和○X年9月4日AM6:00 渋谷の日赤病院でトーベンが出産される。

すでに4歳の姉がおり、いたって安産、ツルリと登場。目黒のゆう天寺幼稚園入園。

そこには何とはっち社長がおって、2歳から入園し、キャリアと滑り台占領の上手さから

園の顔役として幅をきかせていた。トーベンはいつその魔の手にかかるかと心配で

毎夜歯軋りをしていた。はっち社長の弁「ウッソー! 私とトーベンは将来を有望と園児の

評判も高かった 金の卵。いわば、金タマゴの仲だったのよ。がははははは」

ちなみに精神的なものから、幼少の頃のトーベンは病弱で、薬漬け、注射は病みつきで

胸をわずらったこともある。

あまりの寝癖の悪さから、よく蚊取り線香を蹴っ飛ばし、家がボヤを出しているうち

ついに、中目黒小学校が丸焼け。これを機に渋谷方面へ引越す。小学校時代は全校副委員長

を務める。図書部にいて、犬の読書好き。将来は文教所の先生になりたかった。

中学生になると、音楽に興味をもち、友人のローリングストーンズを聞いて狂ってしまった。

「アーンツ」というバンドを組み、アニマルズなどのコピーをやっていた。当時はサイドギタリスト。

高校になると、流行のJAZZ喫茶でベースの仕事をしたりしていた。JAZZ喫茶ではブルースが

流行っていて、みんな躍り狂っていた。もうセミプロのミュージシャンになってたけど、やっぱり将来

バンドマンになろうといつも思っていた。大学にはいるとアルバイトとバンドに忙しかった。

「KAN NA ZUKI」というバンドで日本初のロックとかいってキングからレコード出したのもこの頃だった。

その後、「ハート・オブ・サタデー・ナイト」っていうグループで活動してたんだ。

子供ばんどとの出会いは、ちょうどそのバンドが解散して、いろんなバンドとセッションしていた時

ステージ見て、すごく気に入って、メンバーと付き合っているうちにBASSが病気で

やめるって聞いて、じゃあ、僕がはいっちゃおー! そんな感じだね。

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