interview -ユウ・ヤマト by 丸子


変態ドラマーとして、日本のロック界に不気味な妖気を発しつづけ、何とプレイヤーの人気投票
では25位に輝いた山戸ゆう。彼を支援するみんなが、ウハウハいって喜びそうな秘密の過去を
暴くのである。「ヨーシ、今年は10位以内にくい込むぞ〜!」みんなプッシュしてね--

むらさきいろのあかんぼう

昭和33年1月29日。7時間以上もおっかさんのハラん中。
踏ん張っても引っ張ってもでてきやしない。
あまりの難産に、おっかさんひきつけ、お産婆さんサジ投げた。
と、その時、何事もなかったかのように
つるりとゆう君御誕生! ワ〜Happy Birthday ゆう君〜♪
ところが、ゆう君のからだは赤紫色に変色して腐りかかってた
というから、あらお立会い!
片足棺桶に突っ込んで生まれてくるなんざー やっぱ
並みの変態さ加減じゃないよね―
スペシャル中の超スペだ!!
思えば、この生への執着、一種人間離れした動物的なパワーと
内に何が潜んでいるかも知れぬ、一見おおらかそうな性格は、
この時、神より授かりしものではないだろうか

まちじゅうのにんきもの。うつくしずぎるって つみ!?

幼稚園の頃、僕はとても苦悩してました。灰色の幼児期です。
僕を見ると誰もが”神童”と見抜いてしまう。そして騒ぎまくる。
僕は辛かった。何かこう自分の可能性を狭められているようで
未来に希望を抱いて生きていたのに。末は教授か大臣かってな
具合で。。。「イヤイヤ そんな僕は運転手さんになりたいんだ」
それに僕は今思い出してもゾクッとするほど可愛くて、その美貌
は生まれたTOKYOではさほど評判にもなりませんでしたが
川崎に引っ越してからはもう
「皇太子の気品が漂っちゃって、
ほんとにメンコイぼっちゃんだね
おぐさん 」
てな具合で、そりゃもう町中の人気者でした。
(と、本人は目を潤ませて妄想を語りつづけるのでした)

いきのこるにはくらぶ

小学校に入学するとカムバックなど、とても望めないほどに
人気は消滅。冷たい世間の風をハライノケ、自己の世界に
ぐっとくい込んで生きていました。自ずと将来の夢も自分1人
で何かを追求するタイプへとなり、考古学者になろうと日夜
児童図書館で古代文明の研究に勤しんでいました。
24歳になった現在でも、考古学にはとても興味があって
本を読んだりはしてるんです。
中学校に入ると、運動に燃えてましたね。野球一筋。
万年補欠だったけど、青春なんだなって ウウッ。
ところが、野球一筋が二筋になっちゃって卓球部へ入部。
これは深い訳があって会社員になって、慰安旅行行って
旅館に泊まったとき、卓球やるでしょ。その時の準備の
つもりと、本人は必死だったんだよね。これホント!!

りっちいぶらっくもあさま おしたいしてます

中学3年の頃からギターに夢中になってネ。リッチー・ブラックモア
やエリック・クラプトン、カルロス・サンタナみたいなギタリストに
なりたかった。高校1年の時にバンドを組んでたネ。ところが、
そのバンドにドラマーがいなかったんだ。あん時は、さすがの僕も
まいったネ。それで一見おとなしそうな僕にドラマーの役をおしつけ
られちゃって、ピース・ピース!! いろんなバンドを転々としたネ。
新井由美の曲やるバンドにいた時はギターを弾いてたし、
ビートルズのコピーバンドの時はベースを弾いてたし。
本格的にドラムと取り組んだのはタニヘイとバンド組んでからかな。
カクタスとかB・B・Aのコピーやってた。すごい人気で、僕の住んでた
街じゃ1番だったよ。2バンドしかなかったけどね。ははははっ。
タニヘイがヴォーカルとったりしてたんだよ。あの頃は若かったネ。
すごいつっぱっちゃってさ、楽器もかたずけず帰っちゃったりする
んだから。もちろんタニヘイがだよ。だから、彼を見ると随分成長
したんだナ〜と、うれしくて ウ ウ ッ。。。だって、僕たち幼馴染
なんだもん。その後僕は大学に進んで、まもなく子供ばんどに
はいったんだ。タニヘイがJickたちとセッションみたいな事
やってて、「お前もこいや」ってな調子でお呼びがかかったので
出かけていったのさ。子供ばんどは僕は入りたての頃、ツインドラム
でトリプルギターの全員がメチャクチャ弾きまくる、協調性の
まったくないバンドだったネ。そのうち1人・2人と抜けBASSの奴
なんか心臓悪くして、ドクターストップかけられちゃってネ。残った
Jick・タニヘイ・僕・そしてトーベンが入って今のメンバーに
なったんだ。

べすとどらまあしょうは、なみだなしではかたれない

バンド活動が本格的になって、みんなもしっているように
「ぴあ」や「シティーロード」に1番名前が載りだした頃、僕は
大学生だった。もちろん、絶対卒業するつもりだったけど
週末は特に、ましてツアーなんか出ると当然、欠席が
多くなって、最初から音楽活動に反対だったおやじは
「バンドやめなきゃ親子の縁を切る」とカンカン。間に入って
おふくろが随分大変だったと思うよ。Jickの家もかなりの
反対にあって、あいつは一時、家をでたんだけど、僕も
長い間、おやじとはほとんど口をきかなかったネ。
自分だって本当は不安なんだよ。海とも山ともつかないもんネ。
でもさ、みんな口に出していった事はなかったけど
いつか絶対ビッグになるんだと思ってた。
その為には、自分の信念を貫かなくっちゃネ。
僕たちにはロマンがある。だから、とっても好きさ。
そうこうしているうちに、マネージャーからEAST WESTに
出るっていう話を聞いたんだ。今更って気がしたんだ。
「優勝する為でも、参加する事に意義があるってものでも
ない。自分達のこれまでの努力がどう評価されるか
見てみましょう。大切なのは自分自身がベストを尽くせる
かどうかだけ 」
っていわれて、みんなも決心したんだ。渋谷のエピキュラス
でのブロック大会に勝ち進んだ時、ベストドラマー賞を
もらったんだ。あの時は嬉しかったネ。
メンバーみんな飛び上がって喜んでくれた。
今思い出しても、ジーンとくるよ。

丸子
−−−
今日はいっぱいお話をきかせてもらってありがとう
最後に2〜3 質問してもいい?
ゆう
−−−
どうぞ、なんなりと
丸子
−−−
2月はライヴスケジュールがほとんどないけど休みの日は何してるの?
ゆう
−−−
休みの日? のんびり、ゆっくりしてるよ。気ままにネ。ドラムの練習したり料理したり。今はレコーディングの準備で結構忙しいんだよ。
丸子
−−−
休みにもドラムの練習だなんてビューティフルね。ところで、目標としているドラマーは?
ゆう
−−−
ジョン・ボーナム。彼の生き方に憧れている。とっても狂人で実に豪快。素晴らしい。僕もある面ではいつもクレイジーでいたい。
丸子
−−−
ゆう君にとって音楽って何?
ゆう
−−−
好きなもの。単純だけどそれしかないネ。
丸子
−−−
Thank you!!

 

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